趣味というか癒しというか某tubeで
お坊さんのお説教を聞くのが好きだったりします。
なんとなく自分疲れてるなーとか、人生に迷ってるなーとか感じた時、
どうしてもやる気がでないとき、
喝を入れてくれそうなお題を選んで見たりも。
聞いててしんどくなってしまって
途中で聞くのやめることもありますが、
気持ちが落ち着いてから思い出してなるほど納得!
となることが多いので意識的に摂取(?)するようにしてます。
先日子育てにも通づるなと
共感したお題を紹介させてください。
れいだんじち【冷暖自知】
体験したものでなければ分からないこと。 冷たいか暖かいかは、飲んだ自分しか分からない意から。仏教のことばで、禅宗では、悟りは人から教えられて理解できるものではなく、本人が悟らなければ理解できないとされる。「冷暖れいだん自おのずから知しる」と読み下す。
要するに
いくら大人が心配してもいつか自然に学ぶから
そっと見守りなさいってことかしらと私は受け取っておりますが
どうでしょうかね。
熱々のやかんの湯気が気になって触ろうと、よちよち歩き。
親としてもちろん怪我はさせたくないので「ダメ!これはあっちっち!」
などと諭すのですが
言うこと全然聞いてくれなかったりします。
阻止されたことでギャーギャー騒いだり。
寒空の下半袖短パンで外へ飛び出そうとしたり。
この場合、祖父母がダルマのように着膨れさせたがりますね。
(じじばばあるある)
先日も、えらい寒いのに真夏のいでたちで外に飛び出した娘2、
10秒くらいできちんと上着を取りに来ましたよ。
こどもは大人が思っているよりも賢いですね。はい。
足元の石ころを転ばないように転ばないように先回りして拾うよりも
転んだときに手を差し伸べてけがの手当てしてあげることの方が
私のすべきことかなと思っております。
また立ち上がって歩いて進めるように。
なんならつまずき確定状態で、
「これは大したことにならないな」
と予測がつくなら、
ぐっとこらえて転ぶまで見てたりしてました
(虐待言われたらどうしましょw)
「怪我したら可哀想だから」「泣かれたら困るから」
これって親の都合ですよね。もちろんかわいそうだし困りますが
次に転んだ時のリカバリ力(りょく)を鍛えてほしいというのもまた親心。
だっていつか勝手に一人で目の届かないところへ
歩いて行ってしまうから(淋)。
歩く先の落ちている石ころに気をとられるより、
しっかりとつまづきながら
歩いてる我が子をよく見てあげたいなと思います。
真面目な話しちゃいました(てへぺろ